第3話 逆のおもしろみ
アメリカでは「ある人物をROAST する」番組を時々テレビで見ることができますが、それは偉業を成し遂げた人や成功を讃えるに値する人を、良く知る人たちが一人ずつ演台に立ち、言いたい放題ケナしたり、こけにして、その人となりの人間的なところを暴露するGALAパーティーを放送するというものです。
全員が正装してまじめにこの一人の立派な人の前で演説するわけですが、なんと悪口やおもしろいことを言うので、コメディー番組のように皆ゲラゲラ笑って楽しみます。さんざケナしておいて最後にこの人はすばらしい人物だと結ぶわけです。





最近では日本でも明石家さんまが著名な教授などをこけにしたりしているのを見ますが、ちょっと前までは考えられないことでした。30年以上前にこれを初めてテレビで見たわたしはまったくなぜこんなことをするのかがわかりませんでした。日本人的には偉い人は自分とは関係のない世界に生きる崇める人だと思っていましたので。
偉い人でも偉くない部分、威厳があってもユーモアのある部分、成功と同時に失敗する部分、堅苦しいだけでなく愉快な部分、難しいだけでなく優しい部分があって一人の人間になる。こうした逆の部分を知るとその人間の深さや努力の一部が感じられてより良く理解出来ることがわかってきました。
”The lady is a tramp” ではどのように逆を楽しめるでしょうか。
まずLADY とTRAMPは真逆のことば、
その時代淑女はマナーにしばられ、その通りに行動しなければ「あばすれ」と呼ばれるのかもしれませんが、LADYの極端な逆のTRAMPという言い方を軽く楽しんでいるようにも感じられます。
遅れては迷惑な劇場で遅れて行くのがいいとされる社会を風刺し、
位のある人を選んで一緒にゲームをしようとする手合いに苦言を呈し、
カルフォルニアを湿って寒いところとわがままを言い、
と逆のおもしろみをユーモアとして軽く楽しむ、そのことにより、古い歌がなんと現代にぴったりとあったようにみえます。
女性は自己主張をし、わがままも反対意見もきちんと表現し、自然を愛し、いきいきとやりたいように人生を歩む、とすれば今頃の「とんでる女性」でしょうか。












私は69年ニューヨークに住み始めましたが、その頃GLORIA STEINEMがウーマンズリブ運動で活躍し、色々やってのけるのに憧れました。それから数々の勇気ある女性達により世の中はずいぶんと変わりました。しかし、未だにGLASS CEILINGは厚く、アメリカ大統領になった女性はいないし、女性の地位が他の国と比べても高くありません。大統領に立候補したHILLARY CLINTONも根強い女性の反対派がじゃまをして、人気が上がりませんでした。女性の敵は女性なのでしょうか。
アメリカの「とんでる女性」は女性同士の葛藤「うらやみ、うらみ、ねたみ」の解決法を研究し、能力のある女性が活躍できるよう体制を整え、もっと社会をリードしていってほしいと願います。
LADYなどで満足していることなくTRAMPであるほうが女性の未来像なのでしょうか。
by M.S.